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北朝鮮付近へ
2日目の訪問先のメインは“非武装地帯”
朝鮮戦争の休戦が今でも続いていて、半世紀の長きにわたり緊迫した休戦が続いているのです。その前に韓国風朝食で腹ごしらえ。CIMG0542.jpg
 韓国では朝食におかゆを食べるそうです。 その中からなんとアワビのお粥が朝食と聞き、アワビテンコ盛り風をイメージしていると、そうじゃなく、やはりお粥はお粥。でもアワビを刻んだものが沢山入っていて、歯ごたえと味は、まったく初めての感覚。どんな感覚かって言うと、・・・お雑炊の味をあっさりさせ、ヘルシー感覚。CIMG0545.jpg
ここでもキムチがあったので、せっかくだから全部さらってしまった。CIMG0543.jpg
 お腹満腹で、満足満足。
いよいよ車を進めて行くと、道沿いに鉄縄門がズットズット続いている。CIMG1218.jpg
CIMG0547.jpg
実は、もう川向こうは北朝鮮なのです。ソウルから約1時間程度で、国境付近へくるのだから、ソウルの立地は首都としていかがなものなのか?
南北統一運動が国民の注目事項であり、念願事項であるらしい。
半世紀以上前に第二次世界大戦という政治的戦争があり、南北が分断され、いまだに互いの残留民が故郷への帰還を夢見ているのです。CIMG0554.jpg
 この黄色いハンカチーフは家族の帰郷を願って沢山の人たちが、いつの間にか吊り下げた希望の証し。

今回の旅行は両親の金婚式祝ってのがきっかけで計画を始めましたが、実は以前からお袋が朝鮮へは一度行ってみたい…と言う夢をかなえる事とお袋のルーツ探訪が最大の理由でした。 
お袋は今は無き祖父の仕事の関係で、戦中に朝鮮で生まれ育ち、戦後38度線を越え生きるか死ぬかの思いで、釜山から帰国したのでした。
戦後の引き揚げ経験、当時まだ10歳の少女の目にはどんな風に写っていたのだろう。CIMG0583.jpg
飢えや寒さ、病気、そして絶えがたき経験、引き揚げの話を多く語らないお袋ゆえに、今だに休戦状態の地区、38度線付近の「非武装地帯」を探訪することで、戦争と背中合せの国もあるという事、そしてそこで日本は戦争していたという事、戦争にて多くの犠牲者が出たという事、CIMG0555.jpg
敗戦にて幸運にも帰国でき、今の生活があると言う事、そして自分を含め、子供たちもこの世に存在できたと言う事… 
現地で観、考え、お袋からの話も聞ければ幸いと思っていました。
旅行前に子供たちにもこの事は伝えましたが、現代の平和な日本に生まれ育った我々には、想像する事もできない事なのでしょう。 
ある人が言っていましたが、帰る気持ち=帰巣本能ってのが動物にはあるらしく、お袋も例外ではないのでしょうか?CIMG1222.jpg

ここは“自由の橋”と言って戦後互いの捕虜が国際協定にて、自由に国へ帰ったと言われる場所。今では朝鮮戦争休戦にて閉鎖され、誰も渡る事のできない悲しい場所です。 ちょうど韓国は旧盆に当たり、南へ残されてしまった人々が、いつの日か北へ帰れる事を願い、また南北統一を願って、沢山の寄せ書きを書き記しているそうです。
CIMG1221.jpg

ほんの近くに国境警備軍人が監視していて、大統領と言えど両国の許可が無ければ一歩も足を踏み入れる事はできません。
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CIMG0549.jpg

なにか重々しい空気が流れている場所でした。CIMG0553.jpg
鉄サクの向こうは北朝鮮。
CIMG0562.jpg
今では崩れ落ちた自由の橋の橋げただけが、寂しげに残っていました。
CIMG0560.jpg

こんな場所を見ると二度と戦争など引き起こしてはいけない。そして未来ある子供達に平和な世界を残してやりたい…CIMG0564.jpg
 真剣に思います。
バスの中で少しだけ話に出たお袋の記憶ですが、こんな風に言ってました。
当時、今は無き祖父は仕事の関係でソウルから中国、そしてソ連の国境付近の清津まで仕事で転勤し、ある意味裕福な暮らしをしていたのですが、終戦を向かえ家族皆ロシア兵に捕まり、捕虜としてロシア鉄道に乗せられたらしいのです。列車の荷台から仕事上好意にしていた人々が住む村を見つけ、とっさの判断で家族全員列車から飛び降ろさせ、村へ逃げ込んだそうです。ところがその村の村長は厳しい人柄の方で日本人をかくまったら、村全体が焼きつぶされる…と、翌朝お袋家族をロシア兵に突き出すと言い張り、小屋に閉じ込められたそうです。ところが夜中になって、ある村の若者がソット鍵をあけ、逃げ道を教えてくれ逃がしてくれたそうです。さらに年端もいかぬお袋を背負い、川向こうの安全な場所まで送ってくれたのです。CIMG0573.jpg
その青年の言うには、戦前に日本の長野県辺りに農業の勉強に来ていて、当時りんご作りを習い、日本人にはとっても大事にしてもらったとの事。青年の村も今やりんご作りのお陰で潤っているらしく、恩返しだと言って逃がしてくれたらしいのです。
 
 今となってはその青年の村はどこなのか、命の恩人が以後どうなったのかは、まったく知るすべも有りませんが、その青年がいなければ、我が家の幸福も…存在すらなかったわけで、ある意味奇跡に思えます。
お袋の思い出話は、韓国の地・故郷の地を踏んだからこそ話してくれたのかもしれません。
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